日本人はこうじゃなければいけないという考えが多い

日本人はとにかく、自分が育ってきた環境や経験、価値観が絶対的なものであると勘違いし、固定概念を他人へ押し付ける傾向にあると自分は感じています。

また、誰かと違う、レールから外れることを好まない方が多い気がします。
自分には関係のない他人が、世間、または、自分の中のコモンセンスとは違うことをしようとすれば、袋たたきにしたり、批判する方もかなり多くなってきました。最近では、SNSでそういった誹謗中傷をネットに向けて発信していまい、訴えられて取り返しのつかないことになっている方もいます。

例えば、

  • メールの書き方を気にする
  • 自分の好きなアニメや芸能人を無理やり薦める
  • 食事の仕方
  • これができないとかありえないと言う
  • 生成AI使って宿題するな!ずるだ

数え上げたらきりがありませんね...

「俺はこうやって生きてきた、だからあなたもこうしなさい」
こんなこと言い始めたら、老害の始まりだし、過去に置き去りにされているも同然だと思います。
今までの自分の生き方が否定されるのが嫌なのでしょうか。

こんな世の中でどのように生きたらいいのか、筆者は毎日結構考えています。
この記事では、筆者だったらこんな風に生きようかなというのを紹介します。

結論

自分にとって、重要な課題を見つけて、そこに自分なりの文脈をつけられるようにする。
他の人が何をしようが気にしない、批判しない。
世の中はものすごい速さで変化しているのだから、当たり前を疑い、常に変化していく必要がある。

ことが重要なのではないでしょうか。

自分に軸を持つ

生成AIの登場で、世の中の当たり前と認識されていること、誰でもできる汎用的なことというのは、AIを使えば、特別な能力がなくてもできるようになってきました。

小、中、高で教わることがまさにそうです。筆者は義務教育のようなみんなを同じように教育する個性が育たない教育があまり好きではありません。

これから、重要になってくるのは、自分に軸を持つということです。

自分オリジナルの考えや感性を持ち、そこに文脈をつけていくことが重要です。


例えば、筆者の場合、受験のように与えられた問題を解いたり、SNSなどでみんなが見る話題に注目するのではなく、自分で世の中の課題を発見し、なぜそれを解決することが重要なのかを自分なりに説明できるようになりたいです。

私は大衆的なことではなく、ニッチなことに注目し、自分なりの文脈をつけて説明できるようにする能力がこれから求めらるのではなないかと考えています。

他の人が何をしようが気にしない、批判しない

最近では、芸能人やインフルエンサーが不祥事を起こせば、SNSでモノ申している方が多くいます。

自分と関係のない赤の他人が何をしようが自分には関係ないです。そもそも、他人がどうしているかなどいちいち気にする暇があるならば、別のことに時間を使った方がいいのではないかと思います。

また、他人を批判することも自分にメリットがないですし、なるほど、そういう考えもあるのかと思うぐらいでいいのではないでしょうか。

当たり前を疑う

みなさんが考える以上に、世の中の進化の速さはすさまじいです。

そうすると、世の中の常識というのは常にアップデートされつ続けています。そのため、昨日まで、去年まで、当たり前だったこととが古くなることが結構多いです。当たり前とか常識だったことはもはやそうではなくなるのです。

新人が会社で議事録を取るのは当たり前?
→いやいや、会議をレコードして、ChatGPTにぶん投げてます。

小学生にプログラミングは難しいよ
→ChatGPTにぶん投げれば、簡単なコードは誰でも書けますよ

いい大学、会社に入れれば将来安泰だ
→某T社みたく、突然経営がピンチになるかもよ

当たり前を疑い、常に自分の中の当たり前を変化させていく必要があります。

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