日本は部品設計は得意だが、全体設計は苦手
日本の企業は、部品レベルなど、ある部分での開発や設計において非常に優れていますが、全体的なシステムの最適化となると苦手な傾向があります。
この傾向は社会人になってから、気づきました。
日本は、誰かの提案した根本的なアイデアの粗探しを行い、改造、修正したりするのは上手です。しかし、根本的なアイデアを出し、システム全体を考えることが苦手なのではないか、そう思っています。
現在、自分自身もシステム全体レベルで物事を考える能力が劣っていると感じ、悩んでいます。
これにはいくつかの理由があります。部品レベルの設計は比較的簡単である一方、システム全体の設計には複雑な要因が絡み合うためです。
この記事では、その理由を考察し、この先、システム全体で物事を考えるために必要なことを紹介していきます。
もくじ
部分設計が比較的簡単な理由
あらかじめやることが決まっている
部分設計の目的では、既存のシステムに新しい機能を付け加えたり、修正することです。つまり、ある程度要求が明確に決まっています。そのため、設計者はその要望通りに作業を進めれば良いのです。
これは、パズルのピースの形や絵柄が既に決まっており、それを正しい場所にはめ込む作業に似ています。
単機能に集中できる
部分設計は特定の単体機能に焦点を当てているため、他のパーツとの相互作用を考える必要がありません。つまり、複雑性を考慮せずに設計できます。これにより、設計プロセスはシンプルで直感的なものとなります。
全体設計が難しい理由
一からの設計し、理由を明確化する必要がある
全体設計では、「なぜそう設計するのか?」を一から考え、その理由を明確にする必要があります。これは、単に要望に応じた設計を行う部分設計とは異なり、システム全体の目的や運用方針に基づいて設計を行う必要があります。
複雑な要素の噛み合わせや相互作用を考慮する必要がある
全体設計では、多くの要素が集まったときにシステムの性質がどう変化していくかを考慮しなければなりません。また、決定すべき複数の要素や変数が大量にあり、これらをうまくチューニングし、最適化していくことは経験とセンスが必要です。システム全体のスケールが変わることで、新たな課題や問題が浮上することがあり、その課題特定や解決は非常に困難です。
なぜ日本は全体的な最適化が苦手なのか?
日本の外注文化や分業社会
日本の産業は分業社会として発展し、外注文化が今も色濃く根付いています。日本特有のSierなどは分業社会のいい例です。要件定義、システム設計、実装が分担されています。さらに、部品レベルでも役割分担されています。
各部品を専門的に設計することにより、高い精度と品質が保証されます。各分野の専門家が集まり、それぞれの得意分野に集中することで、部分設計の効率と効果が向上します。
しかし、これでは担当者それぞれがシステム全体を広く見ることができません。そのため、他の担当者や部品のことを考慮できず、システム全体の最適化ができません。
日本では、木ばかり見ており、森を見ることができていないのかもしれませんね。
世の中の動向を気にしすぎる
多くの日本企業は、世の中の動向を気にしすぎているのではないでしょうか?
生成AIが登場した途端、世の中の動向を急いで調査していました。そして、その真似事をしたり、誰かのアイデアをいじってばかりでしたね。
世の中の動向を気にするあまり、自分たちで物事を考える力が欠如しているため、一から考え、システム全体を考える力が落ちているのではないかと思っています。
システム全体での最適化を得意になるためには
トレードオフ関係の理解
各部品間のトレードオフ関係を理解することが重要です。例えば、ある部品の性能を向上させると他の部品の性能が低下する可能性があるため、全体として最適なバランスを見つける必要があります。
マクロな視点を持つ
全体を広く見る、マクロな視点を身に着けることです。これは、システム全体の動作やスケールの違いによる影響を理解し、設計に反映させる能力だと思います。全体を見渡すことで、部分設計では見落としがちな問題や改善点を見つけることができます。
物事同士をつなげる力
異なる性質やメカニズムを持つ物事同士をうまくつなぐ力を身に着けることです。例えば、異なる分野の知識や技術を組み合わせることで、新たな発見やイノベーションが生みだせる方はこの力を持っているのではないでしょうか?
自分で物事を考える癖をつける
これは、他人の意見や情報に依存せず、自分自身で問題を分析し、解決策を見つけ出す力です。現代社会では情報が溢れていますが、その中から何が本当に重要で有用な情報なのかを見極め、自分の判断基準を持つことが求められます。
また、得た知識を客観的に見て、自分なりの解釈を与えていくことも重要だと思います。